でぃいふぇんべいかあ

だいぶ春めいてきた。おだやかな陽気に誘われて散歩に出かけたくなる。でも家では陰気な音楽を聴く。

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1996年から2004年くらいまで活動していたと思われるスウェーデンの(おそらくヨーテボリの)Diefenbakerは、RandyのベーシストだったPatrik TrydvallさんがRandy脱退後にやってたバンド。こちらではギターにもちかえ、メインボーカルをつとめる。なんかPropagandhiを抜けたJohn K. SamsonさんがThe Weakerthansをはじめる流れに似てるなと思ってたら、DiefenbakerのアルバムのサンクスリストにThe Weakerthansもちゃんと載ってた。Diefenbakerという語を検索すると、カナダの第13代首相か、カナダの『騎馬警官』というテレビドラマに登場する狼犬がよく出てくるけど、バンド名の由来はそのどちらかなのか、それともまったく関係ないのか。わからない。でもなんかカナダとのつながりを匂わせる。

確認できるかぎり、リリース作品は多くない。デモテープ1本、7インチ1枚、アルバム1枚。あとはPatrikさんが編集した動物解放がテーマのコンピ『Defenders Of The Oppressed Breed』に参加してるくらい。なぜかUKのEighty Sixと仲がよかったみたいで、Bombed Out Recordsからスプリットを出す話もあったとかなかったとか。

単独7"の『Strike The Match』は1998年に録音されたものの、バンドもその立ち上げにかかわったThe Ringside Corporationというレーベルからリリースされたのは2000年になってから。6曲も収録されてるからすごくお得感がある。サウンドは初期Randyのようなめちゃくちゃタイトでキレッキレな高速メロディックではなく、勢いはあるがもっと渋めで陰鬱なメロディックパンク。A面1曲目の緊迫感のある雰囲気はSamiamに通じるところがあるし、B面3曲目の途中のリズムチェンジや間奏なんかはJawbreakerを思わせる。意外だったのがB面1曲目。弾けるような青いギターワークがScariesみたい。また、Randyのころとはうってかわり、Diefenbakerでは過度にしゃがれさせないボーカルスタイルになってる。言いたいことはぜんぶ言いきってやろうとばかりに息継ぎもそこそこに歌がまくしたてられるから、メロディーはできるだけ間を埋めるようにつめこまれてる感じ。英語でうたわれる歌詞は、政治的/社会的なものと個人的なものが半分ずつ。「女」という特定のカテゴリーにふりわけられる人たちが、性差別主義的な因習と文化のなかで非人間化/モノ化され、構造的/物理的な有形無形の暴力を「男」たちから受けることの不当性と、だれもがおびえながら生きなくてもいいように、「男」が態度とふるまいを変えることの必要性をうたう"Secure The Area"。ファシストとそれを守る警察にたいする闘争賛歌"Boosting The Morale"など。個人的な歌詞はおもに愛にまつわること。

『Los Muertos』は、2002年に米国ポートランドのSuburban Justiceからリリースされた唯一のアルバム。単独7"とも少し雰囲気が変わって、全体的にテンポを落とし、いちだんと渋くなった印象。やっぱりJawbreakerの影響は大きいのかな。でも典型的なフォロワーとはちがう。曲によってはRusty JamesとかPainted Thinが頭にチラつくけど、気のせいかもしれない。それらに比肩するほど悲哀を帯びたエモーショナルさはなく、もっとこう、ザラッと歪んだギターが重々しく響く感じ。少し冗長ぎみの歌のなかにはキラリと光るメロディーが潜んでいて、キャッチーじゃないのに妙にクセになる。たまに憂鬱な気分になるくらい暗い。激しめのメロディックハードコアな曲もあったりする。歌詞の内容は、肉食と動物の権利、階級闘争と連帯、負債とグローバル経済、街頭行動と警察による弾圧、社会道徳のウソと自己の変革、おしゃべりではなく行動への呼びかけ、ファシストのヘイト・デモ、父親への恨みなど、政治的かつ個人的な言明。とりとめのない考えをそのままぶつけたかのよう。そのせいか、ちょっと押しつけがましいところもあるので、そこは好きじゃないけど、おおむね考えるべき問いを発してると思う。サウンドをふくめ総合的にはとてもいい作品。

ところで、このアルバムの13トラック目には、Ward Churchillという人のスポークンワードが40分くらい収録されてる。 クレジットに詳しい情報はない。ぼくは英語のリスニングがまるでダメなので、ぜんぜん聞きとれない。あきらめるしかないと思ってた。ところが、上に貼りつけたYouTubeの投稿に自動生成の字幕機能がついてて、試しに「オン」にしてみたら、あらまあ、読めるじゃないの!完璧ではないにしても、精度はそれなりに高いと思う。8割以上は合ってるんちゃうかな(と願ってる)。こんなこと言ってたんか。どんな内容かというと、アメリカ先住民(ここではアメリカ・インディアンと言ってる)の置かれた状況、(コロンブスアメリカ「発見」以来)500年つづくアメリカ先住民に対する戦争と植民地主義アメリカ・インディアン運動だけでなく米国の市民運動を弾圧するFBIとその極秘プログラム「COINTELPRO」(コインテルプロ)、それが行き着く先の警察国家

かなり興味深い話だったので、Ward Churchill(ワード・チャーチル)さんがだれなのか気になった。かつてはコロラド大学ボウルダー校のアメリカ・インディアン研究の教授およびエスニック・スタディーズの学部長をつとめ、北米先住民ための研究と運動に献身してきた人らしい。自身も先住民の血を引くという。日本語の情報があまりないんやけど、こちらのブログでかれの略歴をまとめてくれてる。どうやら、Political AsylumのRamseyさんが立ち上げたAK Pressからかれの本が何冊か出てたり、RamseyさんがAK Pressを去ったあとにはじめたPM Pressからもエッセイ選集や過去の著作の新版が出版されてるみたい。おもしろそうな本がたくさんあるけど、日本語の翻訳は1冊も出てないっぽい。出てたら読みたいんやけど。2017年にPM Pressから第3版が出版された『Pacifism as Pathology: Reflections on the Role of Armed Struggle in North America』という本におさめられたワード・チャーチルさんの論考の日本語訳がこちらのサイトで読める。ありがたい。ただし、かなり長いので読むだけで一苦労。そのうえ理解するのに二苦労。でも平和主義と非暴力運動について無視できない論点が散りばめられてる気がする(まだちゃんと読めてない)。

さらに調べたら、ワード・チャーチルさんは書籍だけじゃなくスポークンワードのCDも何枚か出してることがわかった。そのなかに、PropagandhiのメンバーがやってたG7 Welcoming Committee RecordsとAK Pressが2003年に共同リリースした『In A Pig's Eye: Reflections on the Police State, Repression and Native America』という2枚組CDがあって、なんとなしに収録曲(曲と言っていいのか)の題名を見てたら「あれ?」ってなった。これってもしかしてDiefenbakerのアルバムに入ってたスポークンワードと同じちゃう?YouTubeにこのCDがアップされてるの見つけたので、聴きくらべてみたら、まちがいない、おんなじやつ。2001年にサンフランシスコのニュー・カレッジ・オブ・カリフォルニアという大学でおこなわれたワード・チャーチルさんの講演を録音したものらしい。Diefenbakerの『Los Muertos』には、『In A Pig's Eye』のディスク1に収録されたトラック2の"Hello My Relatives"からトラック12の"You Have a Police State"の途中までが、トラック分けされずに入ってる。ジャーナリストのクリスチャン・パレンティさんが講演者の経歴や活動などを紹介してるトラック1のイントロダクションは省かれてる。『Los Muertos』は『In A Pig's Eye』より1年リリースが早いけど、リリース元のSuburban JusticeはAK Pressとつながりがあったとの情報もどこかで小耳に挟んだ。

そういうつながりもおもしろかったので、このスポークンワードを以下に訳してみました。全部はしんどいのでDiefenbakerのアルバムに入ってるぶんだけ。前述のとおりリスニングができないため自動生成の字幕機能に頼ったこと、さらにぼくの翻訳能力がだいぶ怪しいことを考慮すると、まったく信頼のおける代物じゃないと思う。ぼくはアナログな人間なのでとりあえずWordにいちいち文字起こししたけど、文の切れ目がわからず右往左往をくりかえし(字幕機能もカンマやピリオドまでは打ってくれない)、ここ何ヶ月か無駄に時間だけかけてせっせと訳してきた。なんとか読める形になっててほしいけど、自分でもよくわからない部分がある(笑)。

けっこう長いので、気になる人だけ「続きを読む」からどうぞ。

 

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※『In A Pig's Eye』の各トラックとタイトルにしたがって段落を分けてます。目次も1回つけてみたかったのでつけました。文章中の[]内はぼくの補足です。()とか「」とかもテキトーにつけました。

▼目次
  1. クリスチャン・パレンティによるイントロダクション(省略)
  2. 親族のみなさん、こんにちは
  3. パイン・リッジ記念日
  4. 500年戦争
  5. アメリカでもっとも裕福な人びと
  6. …あるいはもっとも貧乏
  7. 彼ら自身の国
  8. FBIを捜査する
  9. FBIの役割
  10. コインテルプロの誕生
  11. いくつかの本当にタチの悪いこと
  12. あなたは警察国家にいる

 

1. クリスチャン・パレンティによるイントロダクション

 [ジャーナリストのクリスチャン・パレンティさんによるワード・チャーチルさんの経歴や活動の紹介。今回は省略します]

2. 親族のみなさん、こんにちは

 親族のみなさん、こんにちは。お会いできてうれしいです。ご紹介にあずかった名前は、わたしの植民地住民名(colonial name)であるワード・チャーチルです。わたしはチェロキー族のキートゥーワー・バンドもしくはベア・クランの一員です[訳注:バンドは集団、クランは氏族と訳されたりする]。ですが、どちらの部族も母系制なので、わたしたちの子どもはわたしの妻の部族となります。また、わたしはリンクス・クランもしくはピジュー[?]、あるいは[カナダの]オニガミンやクチチンのオジブワ族ともかかわりがあります。そこでのわたしの名前はじつのところ2つありまして、「小さなイヌワシ」を意味する「ケニース」(Kenis)が最初に授かった名前です。あとに授かった名前は、わたしの著作に親しんでいる人にとってはおそらく驚きでしょうし、ある意味でわたしの自己概念にいささか反するのですが、「キージュンナーべー」(Keezjunnahbeh)といい、「心やさしき男」を意味します。それはともかく、わたしはみなさんに挨拶をたずさえてきました。わたしの母の部族であるチェロキー族のキートゥーワー・バンドの長老たちから、わたしもその一員であるアメリカ・インディアン運動コロラド支部の長老たちから、そしてグウォーシーラス(Gwarth-ee-lass)、別名レナード・ペルティエからです。今夜みなさんにお話しするように、またみなさんもご存知のとおり、彼はカンザス州レブンワースにある連邦刑務所にずっと収監されたままです。彼の検察官をふくむ誰もが、過去15年間のどの時点においても、彼の犯行を確信していると述べる覚悟がこれっぽっちもありませんでした。むしろこの一件は、米国連邦政府が自らの主張する国境内において、先住民の正当な願いを抑圧する専制的な力を象徴しているのです。

3. パイン・リッジ記念日

 1975年は[サウスダコタ州]パイン・リッジ居留地のオグララ村で銃撃戦が起こった年です。公式の歴史によれば、2人のFBI捜査官がレナード・ペルティエに殺されたことになっています。これが公式の決まり文句です。すでに申しあげたように、もはや検察官ですら、起こったことやレナードが実際に人を殺した方法が立証されたとの確信を述べる覚悟がないにもかかわらずです。そして忘れられがちですが、ジョー・スタンツ・キルズライトという名のアメリカ・インディアン運動のメンバーも殺されたのです。彼らは彼らが呼ぶところの居留地殺人事件を捜査するために、FBIの歴史において前例のない強度で捜査を実施しました。その殺人事件とは2人の捜査官の死を意味しました。ジョー・スタンツの死を捜査した者は誰もいません。彼は、1970年代半ばをとおしてアメリカ・インディアン運動やパイン・リッジ居留地のオグララ・ラコタ族の伝統的な抵抗に対しておこなわれた対反乱戦争(counterinsurgency war)によるもうひとりの犠牲者であるアナ・マエ・アクワッシュの横に埋葬されました。二人とも銃撃戦の起こったジャンピング・ブル保有地に埋葬されています。なので話を進める前に、この二人の死者と、1973年から76年までの3年間の時期に対反乱キャンペーン中に亡くなった60名を超えるアメリカ・インディアンの人びとを追悼して、黙とうと敬意をささげることをお願いしたいと思います。

4. 500年戦争

 闘って犠牲になった者たちを思い出さねばなりません。自分たちをどこで見つめるのか、自分たちがどこにいるのかを理解するために、われわれがどこから来たのかを思い出さねばなりません。われわれがどこにいるのかを理解することによってのみ、次世代のためによりよい未来を描くことができるのです。これらのことは関連しており、こういった理解がレナードを奮い立たせ、ほかの人たちを奮い立たせるのであり、彼の事件の成立ともかかわっているのです。なぜなら、レナード・ペルティエは単に政治囚であるだけでなく、戦争捕虜でもあるからです。彼はこの大陸でもっとも長きにわたって進行中の戦争の捕虜なのです。クリスチャン[・パレンティ]がイントロダクションで触れたように、この闘争は現時点で少なくとも500年以上は続いています。それは支配、植民地化、ジェノサイドの500年です。そしてまた、その標的にされた者たちの側の一貫した抵抗の500年でもあります。わたしは、文脈に当てはめるため、そして特定の状況だけでなくそこに意味を与える参照枠をつくるために、レナードの事件を説明するよう頼まれました。レナードやレナードに近しい人びと、あるいはアメリカ・インディアンの人びとだけでなく、すべての人にとってです。そのために、6月26日に起きた特殊な出来事と、その結果としてレナードが置かれている立場に注ぎこむ2本の歴史の流れにとりかかることが、わたしにはどうしても必要なのです。それぞれの歴史の流れにはひとつの教訓だけでなく、一連の非常に多くの教訓が含まれています。わたしはどちらの流れにも全面的にとりくみました。なので、非常に大ざっぱで簡潔なやりかたで要約しなければなりませんし、そのすべての物事の相互作用性を引き出し、それらをほかの人びとに関連させなければなりません。というのは、それはインディアンだけの問題ではなく、アメリカ・インディアン運動だけの問題ではなく、いくつかの特定の集団だけの問題ではないからです。それらは一人ひとりの個人に影響が波及する問題です。米国内だけでなく世界じゅうで圧倒的な力として自らを投影し強制する米国の能力を考えると、それは究極的にこの惑星に住むすべての人に影響をおよぼすと主張したいのです。誇張ではありません。それを示してみようと思います。なんらかの首尾一貫したやりかたでは時間がかかるでしょう。そのうえ、われわれの対話は深入りすると少しごちゃごちゃするかもしれません。なので、それを非常に簡潔なパラメーターに変えて話そうと思いますが、その過程でどうしても、みなさんの興味を引くところや曖昧なままのところをごまかしたり飛ばしたりしてしまうでしょう。

5. アメリカでもっとも裕福な人びと

 まず、大事なことから先に言おうと思いますが、ここで大事なのは先住民(First People)です。500年と10年近く前のあの日、この大陸のこの地にいた人びとです。1492年10月12日、スペインの旗をかかげて漂流したイタリア人の船乗り[コロンブスのこと]がカリブ海の浜辺にうちあげられました。そこは彼が着いたと思っていた場所から見て地球の裏側に位置するところでしたが、彼は「すばらしい航海者」として知られるようになりました。その過程の結果、不動産すなわち土地という点から言えば、いま米国と呼ばれる北米において、もともと暮らしていた先住民が保有していた面積は、公式推計値で98.5%減少しました。実際は97.5%に近いですが。人口に関しては、現実的な話として、地理的収用と同じ時期に同じく97.5%減少しました。大陸の地続きの48州における北米先住民の土地所有の総計は約5000万エーカーです。そこには刻みこまれた皮肉あるいは一連の皮肉があります。まず、連邦政府が承認した5000万エーカーは、200万人あまりのインディアンで割ると、インディアン一人当たり25エーカーということになります。そしてインディアン一人当たり25エーカーというのは、あれだけ大規模な土地収用にもかかわらず、インディアン一人当たりを北米における最大の土地所有集団にしています。こんにちでもなお、インディアン一人当たり25エーカー、つまり総計5000万エーカーの土地の内部で、現在アメリカ合州国が「国内の」ウラン埋蔵量と主張するものの3分の2が見つかります。すぐに利用できる低硫黄炭のおよそ25%が見つかります。石油と天然ガスの20%が見つかります。北米で採掘できるボーキサイトも見つかります。銅が見つかります。鉄鉱石が見つかります。産業グレードのダイアモンドが見つかります。あらゆる鉱物資源が見つかります。最後の原生林や、太平洋岸北西部におけるサケの漁獲量の50%といった再生可能資源が見つかります。少なくとも南カリフォルニアの全人口がいきなり移住してくるような乾燥した西部のあちこちの卓越した水利権もそうです。支配的な社会の観点からはそのすべてが一緒くたにされます。こういった見積もりはドルに基づいて計算されるのです。この見積もりではイラン人[の資産価値]が非常に高くなりました。この見積もりでは石炭の価値が高いです。ガス、石油というふうに、リストを下までチェックしつづけてください。それが済んだら、並んだ数字を合計してください。合計がいくらになろうとも、その合計をもういちど200万人のインディアンで割らなければなりません。するとどのように計算したとしても、北米における一人当たりの資産がもっとも裕福な人口集団という結果が得られるのです。

6. …あるいはもっとも貧乏

 ではこんにちのまさにいまここの話に戻りましょう。みなさんのうちどのくらいの人が金持ちのインディアンを知っていますか?わたしが言っているのは、ビル・ゲイツのような金持ちではなくて、ましてやロックフェラーのような金持ちでもありません。誰もあんな金持ちになれるはずがありません。しかし入植者社会である支配的な社会が富を計算すると、インディアンは書類上では裕福な集団になります。それは名目だけです。実際の現実はどうでしょうか。さて、わたしはこれまで輪郭を描くために政府のデータを使ってきました。なので一貫性を保つためにも、引き続き政府のデータを使わせていただきます。政府のデータによれば、アメリカ・インディアンの状態はいまもなお現行の枠組み内にとどまっています。それは25年前と変わらないでしょう。50年前とも変わらないでしょう。よろしい。しかし2001年現在、アメリカ・インディアンはこの大陸全体で群を抜いて貧しい人口集団なのです。もっとも低い寿命と年収、もっとも高い失業率にみまわれています。わたしはこのデータの全リストを使ってみなさんを責めたてるつもりはありません。要するに、みなさんは一連の条件をもっているということです。それでは、この貧困の話をさせてください。単純にこう言わせてください。ここで話しているのは、新しい車を買おうと決心しても買えないといった意味での貧しさではありません。家を替えたり改築したりできないということではありません。先進工業国的な意味での貧困に関連することではありません。ここで話しているのは、一人当たり年収2000ドルでパイン・リッジ居留地に暮らしている人びとのことです。合衆国のど真ん中に第三世界並みの貧困があるということです。好ましくないどころではない壊滅的な失業率のことです。パイン・リッジにおける過去50年間の毎年90パーセンタイル値の失業のことです。アメリカ先住民全体で60パーセンタイル値の失業のことです。それが貧困の本質です。同じくほかの特定の要素を計算していますが、あくまで政府のデータにこだわります。アメリカ・インディアンは、曝露や栄養不良などによるもっとも高い死亡率にみまわれています。アメリカ・インディアンは、全国平均の14倍の乳幼児死亡などによるもっとも高い死亡率にみまわれています。アメリカ・インディアンは、簡単に治せる感染症において、決定的な大差をつけてもっとも高い死亡率にみまわれています。疫病のようなものによる死亡率も北米のほかの場所で並ぶところはありません。要点を述べましょう。ミレニアムの変わり目において、居留地在住のアメリカ・インディアン男性の平均寿命は約44.5歳なのです。居留地在住のアメリカ・インディアン女性の平均寿命はそれより約3年長いです。それを聞くと、アメリカ・インディアン女性がアメリカ・インディアン男性よりマシに思えるかもしれません。アメリカ・インディアン男性の寿命統計値に対して一般男性の寿命統計値は71.8歳です。では、同じく女性についても見てみましょう。一般人口の女性は男性より平均で約8年長生きすることがわかります。それに比例して考えると、アメリカ・インディアン女性は、男性よりも平均で3年長く生きているにもかかわらず、実際には男性よりもひどい状況にあります。寿命に関していえば、彼女たちは非インディアンの姉妹たち全体と比べて5年も不足しているのです。これらは1890年のアメリカの全人口に当てはまる寿命のデータです。つまり、サンフランシスコで言われるところの生活の質に関して、われわれはこの国のほかの人びとよりも1世紀ほど遅れていることになります。みなさんは、一方にあるサンフランシスコの自慢の生活の質と、もう一方にあるアメリカ・インディアン居留地における生活水準の悪化とを結びつけたいと思われるかもしれまん。というのも、その2つのあいだには直接的な関係があるからです。エドゥアルド・ガレアーノが北米と南米南部地域に向けて丁寧に説明しているとおりです。「あなたがたの富はわれわれの貧困だ」と彼は言いました。それは、一方の支配的なあるいは入植者の社会と、もう一方の北米先住民とのあいだの関係にもちょうど当てはまります。さて、1903年のローン・ウルフ[対ヒッチコック]裁判における最高裁判所の見解でもっとも明確に述べられたものの基準を徐々に下げることが何をもたらしたでしょうか。そのとき裁判所は、一方的にというよりむしろ恣意的に、けれど歴史上の判例をいくつか引き合いに出しながら、米国はアメリカ・インディアンに対する「完全な権威」をもっていると明言しました。それがふつうの人びとの話に置き換えられて、彼らがインディアンに代わって決断をくだす絶対的かつ議論の余地のない権威をもつことを意味するようになったのです。よろしいでしょうか?

7. 彼ら自身の国

 それに付随して、ローン・ウルフ裁判ではっきり打ち出された相互関係があります。その関係は「完全な権威」にインディアンへの受託者責任が伴います。それが意味するのは、連邦政府が、自国の法律と自ら決めた意向にしたがって、アメリカ・インディアンの問題を、なかでももっとも重要なアメリカ・インディアンの資産を統括する受託者の地位をまっとうする義務があるということです。自らの主張する国境内に存在する他国に課したこの信託関係において自らに付与した権限のひとつは、先住民の資産の形態を変えることができるというものです。もしあなたの資産がたまたま石炭だったとしたら、それを採掘しカネの形に変えることができるわけです。まさにこの仕組まれた受託者関係の興味深い点は、受託者が、変形された資産の買い手でもあることです。しかも受託者=買い手が決めた価格のカネに変形されてしまいます。アメリカの法律のもとでは、インディアンがそれに意義を申し立てる手段はありません。これは植民地支配的な関係です。国際法において定義された植民地主義とは、ある国が自国の利益のためにほかの国に課す強制のことです。自国の支配、自国の威信、自国の戦略的利害といったもののすべてが、植民地化された側の直接的な負担によって生じるのです。わたしは修辞的あるいは比喩的な意味で「国」という言葉を使っているのではありません。アメリカ・インディアンは米国連邦政府と条約関係を維持しています。条約法に関するウィーン条約に反映されているように、国際法だけでなくアメリカ合州国憲法の第1条第10節のもとでも、400もの条約が上院で批准されています。条約関係は対等な主権者どうしによってのみ結ばれる協定です。完全な主権国家どうしによってです。米国がアメリカ・インディアンたちとの条約を批准するたびに、条約に加わった相手方当事者は米国連邦政府自身と同じ権利を有する同等の地位にある国にほかならない、という公式の承認を与えたことになります。北米大陸で米国が占める部分の内部に米国以外の国々があることを承認しているわけです。そのすべての国々は米国連邦政府の権威とみなされるものに直接的に従属しており、支配的な社会の利益のために自分たちの資産や富がしぼりとられ、先住民所有者は不利益をこうむっています。人びとに壊滅的といえる結果をもたらしていますが、このような関係すべてによってそれが是認されているのです。お話ししたのは、わたしがちょっと前にざっと目を通した健康と人口統計学のデータです。それは、アメリカ・インディアン運動が1970年代前半に、なかでも1970年代半ばのパイン・リッジ居留地において、もっとも激しく直面した一連の状況の本質です。それは対反乱戦争をもたらしました。あとでお話しすることになるほかのさまざまなことのうち、すでにお話しした死者をもたらしました。レナード・ペルティエの特殊な状況をもたらしました。なぜなら、そこでおこなわれていたのが、主権者が土地や生活や運命をコントロールする権利の主張だったからです。それはアメリカ・インディアンの人びとの条約に基づく地位にそなわっている権利であり、現在の国際法のもとに認められたすべての人びとの基本的人権にそなわっている権利です。対反乱戦争を引き起こし、弾圧を招いたのは、そのような権利の主張だったのです。

8. FBIを捜査する

 そしてそれはFBIやFBIの役割という話につながります。みなさんのなかには、エフレム・ジンバリスト・Jrが役名はなんであれFBI捜査官をやっていたのを、テレビで見て育ったかたもおられると思います。優秀な法執行機関、米国の連邦法執行機関、優秀な捜査機関が、法の支配に関与し、犯人を捕まえ、証拠を集め、それを検察官に提供し、違反行為を犯した者たちの適正手続きや起訴を進め、彼らが当然の報いとして実刑判決を食らうのを見届けるとかそういったことをしていると、みなさんは理解しているでしょう。それは神話であり、神話はFBIテレビシリーズより前から存在します。事実上それはFBIの創設にさかのぼります。しかし、われわれは取り調べる必要があります。もしわたしがみなさんのうちのどなたかに「あなたがどんな人か教えてください」と頼んだら、たぶんあなたはかなりポジティブなことをおっしゃるでしょう。では、もしわたしがあなたの隣に座っている人にたずねるとして、その人があなたのことを知っていて、回答をあなたに知られないことをわかっているなら、その人はあなたについて少し違ったもっと率直な意見を言ってくれるかもしれません。世間では、正確かつ率直などんな種類のやりかたであっても、自らを定義する施設や機関なんて信頼されません。それが当てはまるのは、なにもFBIにかぎった話ではありません。にもかかわらず、われわれが大衆意識において知っていること、あるいは一般に知られていることはすべて、もともとは司法省の地下室に置かれ、近年はJ・エドガー・フーバー・ビル[FBI初代長官の名を冠したFBI本部ビル]の土台に置かれたFBIプロパガンダ工場の製品なのです。この特殊な機関の異なる肖像画を描くための外部からの介入や知識の獲得はほとんどありません。ただ、フーバーのプロパガンダ軍団や取り巻きによって描かれた肖像画の精度を少しばかり観察できる小窓ならあります。あれが起こったのです。この部屋にいるご年配のかたのうちの何人かは覚えておられるでしょう。1971年に「FBIを調査する市民委員会」と名のるグループが、FBIがほかの人たちにやっていたこと、いわゆる不法侵入をおこないました。よろしいですか?つまり、FBIのペンシルバニア州メディア支局に泥棒に入ったわけです。彼らはオフィスに侵入し、もっていった手押し車を使って、そこで仕事をしていたFBI捜査官たちの書類棚を運び出し、それらをバンに積みこみ、夜の闇のなかへ走り去りました。彼らはけっして…ちなみに、お望みであれば拍手していただいてもかまいませんが、彼らはけっして、だれひとりとして身元を確認されたり、逮捕されたりはしませんでした[ここで聴衆の拍手が起こる]。想像力の炎をかき立てましょう。そこから教訓を得ましょう。その事実によって何ができるかを見きわめましょう。ただしそのときまで、わたしがまさに言わんとしたことによって、わたしがみなさんを扇動しているとは思わないでください。よろしいですね?

9. FBIの役割

 ここにデータ・サンプルがあります。FBIの典型的な捜査オフィスの完全な書類一覧からなるデータ・サンプルです。その書類の分析結果は次のようになりました。この平凡な田舎のFBI地方局におけるリソース配分の2%は、組織犯罪活動の捜査にまわされていました。15%あまりは盗難車に対する州をまたいだ捜査にまわされていました。ほかにもかなりの部分が通常の事務処理に関係していて、全体の30%に達していました。残りは市民の政治活動の監視や弾圧に関係していました。その形はさまざまでした。その時代には武装収用と呼ばれるものや政治的な理由による銀行強盗がたくさん起きました。そのため、それに関する書類がたくさんあります。彼らはまるで、革命的な銀行強盗の一団がペンシルバニア州メディアの街なかにあるモーテルで仕事を始めてくれて、自分たちがそれに対応できるようにしてくれると期待していたかのようです。経歴のある捜査官は必ずしも将来を約束されているわけではなかったか、あるいはそもそもペンシルバニア州メディアに行ったこともなかったでしょう。だからそこが最適な潜伏場所になったのかもしれませんね、もしかしたら。彼らには書類仕事が必要だったのかもしれませんが、名目上は犯罪だったにもかかわらず、それは政治的なものに焦点を合わせていました。リソース配分のもうひとつの大きな部分は、徴兵拒否者とその居場所に関係していました。これは国全体にとってとてつもなく重要な問題でした。間違いなく。全エネルギーのおよそ3分の1が、ベトナムの虐殺工場行きに志願しなかった人びとや、なんとしてもそれに参加しなかった人びとを追いまわすことに使われました。そして残りは、学生、聖職者、PTAグループ、YMCAの支部、そのほか「政治的に好ましくない」活動に従事している人びとを監視することに関係していました。そこにこうつけくわえる必要があります。何が「政治的に好ましくない」かを、誰が決めているのかと。まあ、FBIが自分で決めていました。基本的に次のような感じで割り出されます。もしあなたがフン族アッティラ王の左にいたとしたら[つまり左翼的思想をもっていたら]、あなたはFBIの捜査活動の対象になります。アッティラ王の左を遠くへ行けば行くほど、あなたのファイルは大きくなることでしょう。

10. コインテルプロの誕生

 また、FBIのなかでコインテルプロ(COINTELPRO)なるものが進行していることが人びとに知られはじめたときでもありました。コインテルプロ——当時は誰もそれがどういう意味なのかわかりませんでした。アナグラムのように意味をひねり出そうとする人もいました。これは何なのか?判明します。これは通常◯◯[←ここわからない…]と呼ばれていました。極秘プログラムだったからです。これはカウンター・インテリジェンス・プログラム[対敵諜報活動プログラム:Counter-Intelligence Program]の略称です。現在FBIは実際にカウンター・インテリジェンス活動をおこなう権限をもっていますが、それは秘密ではありません。特定の作戦は秘密裏におこなわれていますが、FBIにカウンター・インテリジェンス部門があるという事実は秘密でもなんでもありません。実際に予算が割り当てられています。そういう意味では比較的公明正大です。その任務が敵対的な外国勢力を標的にしていることはよく知られています。あるいはイスラエルのように友好国とされている外国勢力の場合も追跡しなければなりません。そうでなければ、彼らは核の機密を盗むでしょう。どのみちこちらからわざわざ機密を漏らさなければ話ですが。そんなわけで、秘密に包まれていたコインテルプロとは、じつはカウンター・インテリジェンス・プログラムのことでした。ただし種類の異なるカウンター・インテリジェンス・プログラムです。これは組織的な集中管理の問題としてFBIによってしかけられたもので、政治的にいえば、米国市民の活動を弾圧するための活動でした。それが秘密だった理由は、憲法によって禁じられた完全に違法な活動だったからです。ご存知でしょうが、サボタージュをおこなう者、スパイ、スパイ組織、敵対的な外国勢力の工作員などを標的にする場合は、憲法上の保護が適用されません。カウンター・インテリジェンスにおけるゲームのルールは、捜査、証拠の提供、起訴、懲罰としての実刑判決とは関係がありません。標的を無力化することに関係があるのです。何度もおこなわれてきたあからさまな暗殺をふくむどんな手段を使ってでも、彼らは標的を無力化します。やりたい放題で容赦なしの活動です。敵を倒すのです。利用可能かつ必要などんな手段を使ってでも相手を止めるのです。相手がどんなことをやっていてもそれをやめさせるのです。相手はそもそもカウンター・インテリジェンス捜査の標的になるようなことをやっているのですから。わかりますか?ロシアのスパイにいたるまで、彼らは上訴するわけでもなければ、提訴するわけでもありません。ゲームのルールみたいなものですが、米国市民を相手にするときには、政府は建前として、単純に相手の頭を撃ち抜くことはできません。なぜなら、「政治的に好ましくない」と見なされる活動、政治的自由、政治理念の主張は、たとえそれが権力者に逆らっていたとしても、たとえそれが一般大衆から非難されるべきことだったとしても、憲法で保障されている活動だからです。コインテルプロの特性は、FBI長官J・エドガー・フーバーが認める非常に狭い許容範囲からはみ出すものならなんでも弾圧することが目的だという点です。結局のところ、これは特に新しい状況というわけではありませんでした。まさにそれが継続しているという事実、そしてペンシルバニア州メディアで明らかになったものと同程度のリソースが最初からFBIに配分されていたという事実は、FBIが法執行そのもの、あるいは「法執行」というくくりに間違いなくふくまれるものとは全面的に異なる役割をもっていることを示していました。結局、それは最初からつくられた存在でした。わたしはその創設のさらに前から少し説明したいと思います。やるべき仕事をいつもどおり引き受けることや、米国の社会的・経済的・政治的構造を現状維持することは、すべての人に割り当てられた場所があるということです。少なくとも自分の身分やずいぶん勝手に定められた集団を理由に。すべての集団はわかりませんが、黒人、アジア人、南欧からの移民、女性、同性愛者、アメリカ・インディアン、アパラチアの鉱夫、貧しい白人など、集団に名前をつけ、場所を与えます。FBIの役割は、あなたが自分の場所から離れないかどうかを確かめることです。比較的恵まれた場所をもつ人びとにとって、それはいいことですし、そのためにつくられた組織なのです。そのような特権をもたず、特権の欠如の度合いに人生を左右されてしまう人びとにとって、それはますますいいことではなくなります。この社会構造において恵まれない人びとは、特権の欠如が多くなればなるほど、ますます必死になって社会構造や状況をよりよいものに変えようとする傾向があります。それをさまたげるためにFBIはつくられ、発達し、完成しました。テレビでエフレム・ジンバリスト・Jrがやっていたとされることとは大違いです。さて、この話題を終えるにあたって、覚えておいてください。アメリカ・インディアンに割り当てられた場所は、戦略的かつ商業的に貴重な鉱物やアメリカ経済を活性化させるものをしぼりとれるように、米国に資源を供給する国内植民地としての役割を果たすことであると。上流社会の頭のなかから都合よく消される存在。彼らが黙っているうちは、あるいはそれほど黙っていなくても、彼らの声を聞こうとする者はあらわれないでしょう。居留地の形成期に彼らが追いやられた地における餓死や凍死。それが彼らの場所なのです。そういうことだったのです。アメリカ・インディアン運動、レナード・ペルティエ、パイン・リッジの抵抗者、そしてほかの場所のほかの人びとは必死に変えようとしたのです。

11. いくつかの本当にタチの悪いこと

 それがいつ始まったか。いつもお聞きになっていてご存知でしょう。本当にタチの悪いことがいくつか続いています。やはりロドニー・キング事件を見なおしてください。ほかにもニュー・オーリンズで事件がありました。そこでは警察が不正なカネ儲け組織を運営したり、ゆすりをはたらいたり、ときには旅行客や麻薬密売人を殺したりしていました。それからフィラデルフィアでは、麻薬密売人をコミュニティから引っぱり出すために証拠の偽造がおこなわれました。彼らの麻薬流通網を奪えたらわれわれは満足でしょう。それからロサンゼルス市警察の件があり、シカゴ警察の件があります。状況がこのまま続けば、最終的にわれわれは警察国家をもつことになるでしょう。警察国家になるんじゃないかと懸念する必要が本当にあるのかどうかを明らかにするために、われわれはこの野獣を取り調べたいと思うかもしれません。むしろその問いは「いつからすでにそう[警察国家]だったのか」という問いにそのうち変わるかもしれませんが。何かを防ごうとするかわりに、われわれは何かを元どおりにする方法を見つける必要があります。それら2つの物事のあいだには根本的に異なるプロジェクトがあります。それは意識に関わるものであり、そこにアプローチするための分析の枠組みを必要とします。ひとつ提示させてください。というのも、それはいくらか効果的で、この講演だけでなく、わたしが仕事の大部分で活用しているものだからです。それは、湾の向こう側のオークランドでブラック・パンサー党を結成した創設者のひとりヒューイ・P・ニュートンに由来しています。彼は比較的複雑な考えを2つか3つの文に要約し、人びとにとってわかりやすいものにする能力をもっていました。これは政治的命題であり、ここでは政治的な要素と力学について話しています。政治的な目標や目的、政治的課題、政治的な過程や手順について話しています。ブラック・パンサーについて話しているのはそのことなのです。とてもはっきりしています。つまりわれわれは政治的存在なのです。われわれは政治的闘争に関与しています。これはすべて政治の話です。しかし政治たらしめるには、政治とは何かを理解しなければなりません。「政治とは、現象を定義し、それを望ましい方法で動かす能力のことである」と彼[ニュートン]は言いました。たったそれだけ。実際にかみ砕くには重い発言です。われわれが直面している現象を望ましい方法で動かすとは何かという意味で重い。大抵は立ち去ることが望ましい結果です。そしてどうやって現象を消し去るかも真剣に考えるべきこととなります。けれども、強調するときには軽んじられるものがあります。どんなに重い因果関係の命題であろうとも、それを望ましい方法で動かすためには、こちらが先に現象を定義できなければなりません。直面しているものが何であるかを定義できなければ、目隠ししながらダーツを投げて、少なくともボードがとりつけられた壁にはヒットしてくれと願うようなものです。たまに運よく的の中心に刺さることもありますが、そのときだけです。FBIのような現象に立ち向かうには、そして国家主義的構造にある米国の集合的権力のような現象に立ち向かうには、運を味方につける以上の何かが必要になります。

12. あなたは警察国家にいる

 ですから、FBIがここでお話ししている意味でのFBIになったのはいつなのか、国家レベルの政治警察になったのはいつなのかを調べる必要があります。国家レベルの政治警察がいるところというのは、言わせてもらいますが、警察国家であるということです。ほかに考えようがありません。そういう意味で、1913年に彼らがこの怪物をつくって以来、われわれは正式に警察国家にいるのです。ただし公平な目で見たら、それより前から存在するとわたしは主張します。実際は1852年に始まったのだと。その日、アラン・ピンカートンという名前の元フェニアン団急進派がシカゴにたどり着き、探偵社を設立しようと決めました。ピンカートン探偵社の設立によって、われわれがこんにち直面しているものの基本的な要素がそろいました。というのは、まさかと思われるでしょうが、連邦省庁を民営化することを説いてまわった変わり者はロナルド・レーガンが最初ではなかったからです。共和党陣営のコスト削減という考えかたは、南北戦争時のリンカーン政権にさかのぼります。知ってのとおり、その時期に司法省が設置されました。司法省は大した予算も人員もないまま設置され、間違いなく捜査機関ではありませんでした。訴訟を起こしたり、連邦法上の犯罪者を起訴したりするためには捜査の材料が必要だったので、彼らは民間セクターに行きました。ピンカートン探偵社に行ったのです。その過程で彼らは、われわれがこんにちでも対処している状況を決定づけました。というのも、ピンカートン探偵社連邦政府だけに雇われているわけではなかったからです。ほかの民間セクターにも雇われていました。誰にだと思いますか?シカゴの南側の工場労働者、カンザスの牧場労働者、ミシシッピ小作人でしょうか?違います。大手工業会社がピンカートン探偵社のような組織の手を借りる資金をもっていました。そして不可分な結びつきの初期形態が生じたのです。少なくともそのときその場所で、連邦政府と産業界の捜査機関(結局のところ執行機関です)は、まったく同じ組織に委ねられることになりました。いまのFBIがみなさんの税負担で少なくとも名目上は連邦法を執行しながらも、資本の利益のために尽くしているという事実は、なんら驚くべきことではありません。当時の基本的な要素の配置は1860年代半ばに見られます。アメリカ市民を標的にしたカウンター・インテリジェンス・プログラムにおいてFBIが最終的に展開する数々の手法の基礎も見られます。その最初のものは、米国の権力の形式的構造に対する転覆的な脅威の幻想をでっちあげることでした。よろしいですか?そうすれば、事件を解決するときに特になんの問題も起きません。自分でそれをでっちあげたので、自分で解決できますし、自分の手柄にできますし、探偵稼業でスーパーマンになれます。そんなことをしているうちに、彼らはエイブラハム・リンカーンの暗殺計画をでっちあげました。どこにも証拠はありません。どこにも。そのような計画が存在しました。ピンカートンはそれを公表したうえで介入しました。彼はリンカーンが就任式に向かう途中のセキュリティ・サービスを提供しました。どうなったでしょうか?リンカーンは就任しました。よろしいですか?それはピンカートンによって提示された証明でした。彼はその計画を阻止することを驚くほどうまくやってのけたのです。ひとつの手法として、それがFBIの作戦に組みこまれるようになりました。そのいくつかを見てみましょう。1970年にニューヨーク市で「パンサー21事件」というのがありました。パンサー21事件とは何だったのか?それは連邦警察および連携したニューヨーク市警察の「レッド・スクワッド」[反体制勢力(労働組合共産主義者アナキストなど)の弾圧を目的に各警察署に設置された警察情報部隊]隊員による主張でした。ブラックパンサー党ニューヨーク支部のリーダーが、スプレー缶とマッチ箱一箱分の黒色火薬を使って、いくつかの百貨店とともに地下鉄や警察署や植物園を爆破する計画を立てているのだという。もちろん、メイシーズ[百貨店]は爆破されませんでした。植物園はいまもそこにあります。地下鉄はいまでも走っています。何ひとつ起こりませんでした。そのため、最終的に被告人は全員が無罪になりましたが、このタイムリーな介入は回避されました。彼らはブラックパンサー党への潜入と工作に基づいて主張したのです。

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このあとは、米国のカトリック聖職者であり平和主義者のベリガン兄弟が、ベトナム戦争の停戦を要求するために、ニクソン政権の国家安全保障問題担当大統領補佐官だったヘンリー・キッシンジャーの誘拐を共謀したとして告発されたときの話へとつづく(この告発は陪審員によって無効審理を宣言された)。そして1980年代にFBIは、「平和主義テロリスト」(pacifist terrorist)というもうそれ自体でよくわからない言葉をつくって、脅威の幻想をふりまいたのだという。人びとの幸福を守ると称して、反体制派を悪魔化し、それによってかれらを無力化する資格を得ること。それがゲームの名前だと。このゲームというのが、上の「いくつかの本当にタチの悪いこと」で引用されたヒューイ・P・ニュートンの言葉でいうところの「政治」なんやと思う。ちなみにベリガン兄弟は、1968年に9人のカトリック平和運動家がメリーランド州の徴兵委員会のオフィスに侵入し、ベトナムに派兵される予定の若者たちの徴兵書類を手製のナパーム弾で燃やした「ケイトンズビル事件」で知られる。かれらはFBIの10人の最重要指名手配リストに入ってたらしい。若者を殺し殺される戦場へ送りこむことではなく、それを止めようとすることが「犯罪」になる。

講演はまだまだつづいていく。『In A Pig's Eye』はディスク1がトラック17まであり、ディスク2もトラック15まである。